働き方と人生最後の迎え方、共通するのは自己決定権の尊重

働き方と人生最後の迎え方、共通するのは自己決定権の尊重
金曜の夜、私は行政書士の友達と話をしていた彼女と私の共通のキーワードは「女性、子ども 」
土曜の朝、社会保険労務士の黒田尚子さん(社労士事務所:未来創造)が、働き方について講座をした。
娘を持つ私たちのいつもの話題は、どうしたら女性が自分の能力を発揮して、働きやすくなる社会になるかと言うこと。

私たちは、働き方、生き方を選択できているのか

今は共働きの家庭もすごく増えたし、もちろん独身でずっと働いている女性も多くなったけれど、女性がほんとに働きやすくなったから増えているかというとそうではなくて、なんとなく女性がたくさんの役割を背負って頑張ってると言う印象がある。
なんでこんなに働きにくい社会なのか?という疑問と、娘が働く時代になってもこんな社会ではいやだと思って、社会保険労務士の資格と取得、企業に考えてもらえるような仕事をしている黒田尚子さん。行政が提案する働き方改革とはなにか、日本の経済や人口動態の変化などマクロな視点から、そもそも個人にとって働くことって何かというミクロの視点の話がありました。
この日のランチタイムでは、働く女性の大変さだけでなく、いろいろな意見が出た。
  • 自分に稼ぎがないために離婚したくても離婚できない人も多い
  • 男性から聞くのは、自分が大黒柱だから収入が減ると困るから、育児休暇が取りにくい、サービス残業も断れない
  • 残業代をあてにして生活費を考えている
  • さっさと仕事を終えても、いまさら、家庭に居場所がない (結構多いのかも)
働く私たちの世代も、なかなか自分で好きなような働き方、いや、生き方を選べていない現実が浮かび上がってきました。

自分の人生の最後をどのように迎えるか、自己決定権はあるのか?

この日、お昼からは医療の研究会に参加。シンポジウムでは様々な「口から食べられなくなった」症例の写真を見ながらこの人たちにどのような医療ケアをするのか?家族への説明や話しあいはどうするのか?というディスカッションが繰り広げられました。おそらく、医療や福祉の現場にいない多くの人は、身体がかたまって変形し、言葉もしゃべらず、何度も肺炎を繰り返し痩せ細った高齢者の姿を見たことがないのではないでしょうか?
提示された症例は、明らかにもう普通だったら老衰でなくなってるだろうと思われる症例もあれば、実はちょっと前まで食べてたんじゃないか、ケアとリハビリをしたらもう一度食べられるのではないかと思わせるような症例もいた。
医者としては家族に何を言うかとか、どういう説明をするのか、生命倫理と照らしてどのようなことを伝えるか、または説得すべきか?そんなことを延々と話があった。
けれど!そもそも自分が口から食べられなくなったらどういうケアをしてどういう最期を迎えたいのかを、家族ともっと前から話し合いをしていれば、自分の意思が伝えられなくなった人生の最後の時期になって、家族も混乱することはないし、医者も治療方針の説明にたくさんの時間をかける必要もないのではないかと思った。これは、本当に長年、私が臨床で感じていたことです。

日本はいまだに自己決定権が尊重されていない

この2つに共通する事は、自己決定権
自分がどういう働き方をしたいのかも、そして人生の最期をどう生きるかも、本来は自分で選択して決めるもの。
なのに、自分で決めることが難しい日本の社会
もっと私たちは自分で考え選択肢決定する権利があるということに気がつくべきじゃないでしょうか。
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